スワンの邸周辺から
最初に「コンブレー 1」で登場するスワンは、絵画にも造詣が深いとされている。しかし語り手の大伯母は、スワンにはその能力があるとは考えていなかった。スワンは自邸にそのようなコレクションを積み上げていて、祖母はここを訪問したいと夢見るほどであった。
スワンの邸はこのオルレアン河岸にあるという設定であり、大伯母に言わせれば、住むことが恥辱と思われる界隈であったようだ。
大叔母は「酒蔵の近くにお住まいなの?」などと言って、スワンをからかってもいる。住もうと思えばパリの中心地にでも住めるのに、スワンがここに住んでいたからである。
オルレアン河岸は、パリのセーヌ川に浮かぶ二つの島のうちの一つである、サン=ルイ島の一角にある。下の地図をご覧いただければ、わかりやすいかと思う。サン=ルイ島は、今では人気のある閑静な住宅街と観光名所からとでなっているが、19世紀には今ほどは評価されてなかった。余談だが、このサン=ルイ島にある小さな劇場では、プルースト に関するものが上演されているらしい。一度だけピアノのコンサートに行ったことがあるが、パリらしい雰囲気の劇場であった。
サン=ルイ島近辺の地図は、下記をクリックすると見ることができる。
鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』の註には、次のように述べられている。
「当時、川を隔てた植物園の隣にはジュシウの公設葡萄種市場(アル・オ・ヴァン)があった。現在、パリ第七大学(理工学部)のおかれているところである。これはオルレアン河岸の対岸に当たるサン=ベルナール河岸に面しており、ワインの倉庫と市場を兼ねたものだった。」
ここから比較的近いのは、オルレアン駅(今のオステルリッツ駅)だけれど、リヨン駅も遠くはない。リヨン駅の近くには、ベルシー河岸に面して、ジュシウの市場以上に重要なベルシーの葡萄酒集散所がおかれていた。」のである。
先日、私はそのベルシーに近いクール・サンテミリオン駅近辺を訪れる機会があった。以前は、ジュシウの植物園の近くに住んだこともあり、また、その後、旅行で訪れた時にはこのクール・サンテミリオン近辺のホテルにも泊まったことがあるため、非常に懐かしかった。
その当時から、クール・サンテミリオン近辺はパリの中心地とは違って、駅にはエスカレーターなどもあり、パリとは思えない雰囲気があった。それでいて、マドレーヌ駅やピラミッド駅まで近く、メトロ14番で一本で行ける便利さがある。駅前には、沢山の商業施設があり、大きな映画館もある。ここに来れば、ほとんどのものが揃うのではないだろうか。
名前からして、ワインの名産地であるサンテミリオンという名前も入っているから、やはりもともとあった葡萄酒集散所の雰囲気を残しているのかもしれない。
おそらくワイン蔵の一つであったと思われる建物を活かして、商業施設が作られているようだ。
街のあちこちに葡萄の木が見られる。
実際に葡萄の実がなっているのも楽しい。このように、土地の過去の記憶を再生するような街づくりは、人々の心の中にいつまでも残ることだろう。私自身も、20数年前から、街づくりに関わっていたが、土地の記憶の再生というコンセプトを大事にしてきた。
大きな映画館も奥の方には見えた。このほか、近くにあるベルシー公園はとても楽しいところだ。中に四季折々の自然が楽しめる広大な敷地があり、畑なども楽しめる。
少し長くなってしまったが、スワンの住んでいたオルレアン河岸周辺から延長してベルシーの現在の様子をお伝えした。
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